こんばんは、カムラです!
今日も前回から再開したパワプロキャラ作成シリーズをやっていきたいと思います!
今回も、前回に引き続き、F1セブンと呼ばれた選手達を作っていこうと思います。
第二回は4号車を担当した、上坂太一郎選手を作成していきたいと思います!
上坂太一郎とは?
享栄高等学校→王子製紙春日井→阪神タイガース (2000 - 2007
1999年度ドラフト会議にて、ドラフト5位で阪神タイガースに入団した外野手兼二塁手です。背番号43番。
タイガース入団前は、享英高等学校で主将として夏の甲子園に出場。社会人野球の王子製紙春日井では5番打者として活躍し、都市対抗にも出場。そして、1999年のドラフト会議にてドラフト5位で阪神タイガースに入団しました。
当時は外野手としての登録で、スポーツ紙に「曽我部二世」と評されたそうです。
1年目はシーズン終盤に対巨人戦で出場し、プロ初安打を含む猛打賞、さらには二盗・三盗を連続で決めるという鮮烈なデビューを飾った。特に連続盗塁については、当時の野村克也監督が「阪神に来て、初めて野球をした気分だ」というコメントを残してます。秋季キャンプでは和田豊の後釜として期待され、二塁手の練習及びスイッチヒッター挑戦に励み、以降は二塁手として出場することが多くなります。
2年目の2001年はF1セブンの一員として怪我で戦列離脱した時期があったものの二塁手のレギュラーに定着することに成功しました。
この年は、プロ初のサヨナラ本塁打やヒットを放ち、球団史上初となる対巨人戦3試合連続サヨナラ勝ちの立役者となるなどサヨナラに何かと縁のある年でした。更に、濱中治・赤星憲広と3人で平成の新少年隊と呼ばれるなど実績・人気共に絶頂を極めることになりました。
しかし、野村監督の退任後、星野仙一さんが監督になると状況は一転。2002年、星野監督がセカンドに今岡誠を起用したところ固め打ちをし、そのまま定着。
それ以降も再三のチャンスを生かしきれなかったことからスタメンは愚かベンチにも残ることが厳しくなっていきます。
2003年以降は前述の今岡選手の二塁定着や、同選手の三塁コンバート後も藤本選手や関本選手と言った選手陣に割って入ることができず、更に、スピード違反が絡んだ事件で問題となったことからますます出場機会が減っていくことに。
最後の一軍出場となった2006年の対巨人戦でスタメン出場するも振るわず、岡田彰布監督の起用に応えることが出来ずに終わったことで翌2007年に戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトを受験するも獲得に乗り出す球団はなく、現役続行を断念。引退するに至りました。
査定
・基本能力
基本能力はパワプロ2001〜年度のデータ(出典:http://www.baseless.org/data/)を参考に設計させていただきました。守備固め、代走要員として扱われる機会が多かったことから肩力や守備力をDランクなら上げました、
・対左投手B
参考年度のパワプロデータから借用。年度によって特殊能力がついたり消えたりする上坂選手でしたが、比較的安定して左投手を得意としており、2001年の本塁打6本のうち5本が左投手から放ったものであるというデータが出ている事から対左投手Bのみ付与させていただきました。
こんな感じで今回は終わりです!次回は5号車担当の平下選手を作ってみます、それでは!
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