[パワプロ2018]阪神タイガース デジ・ウィルソン[パワナンバー]
どうもこんばんは、カムラです!
パワプロの実在選手作成のコーナーです。
阪神の助っ人外国人を作成シリーズ!!
第二十六弾は、前回のジョンソン選手と共に1999年頃に阪神に在籍したデジ・ウィルソン選手です!
デジ・ウィルソンとは?
グレンコーブ高等学校→フェアレイ・ディッキンソン大学→サンフランシスコ・ジャイアンツ (1996)→阪神タイガース (1998)→サマセット・パトリオッツ (2002)→スーシティ・エクスプローラーズ (2003)→スーフォールズ・カナリーズ (2003)→スーシティ・エクスプローラーズ (2004)→サプライズ・ファイティンファルコンズ (2005)→チコ・アウトローズ (2006)→アンダーソン・ジョーズ (2007)→サウスジョージア・ピーナッツ (2007)
デジ・ウィルソンは1991年のMLBドラフト30巡目でテキサス・レンジャーズに指名されて契約したプロ野球選手です。
レンジャーズではメジャー昇格は叶わず、1994年にはトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍することになりました。移籍後はAAA級で高打率をマークし、念願のメジャー初昇格を果たしました。しかし以降はメジャー昇格できず、1998年に阪神タイガースに入団することになります。
当時の阪神では既に一軍の外国人野手の枠2人がデーブ・ハンセン、アロンゾ・パウエルで埋まっていたため、一軍での出場はほとんどなく、二軍でも目立った成績を残せなかったことからシーズンオフに自由契約となりました。
阪神退団後はアリゾナ・ダイヤモンドバックスやシカゴ・ホワイトソックス傘下のAAA級でプレーした他、サマセット・パトリオッツをはじめとした8球団のアメリカ独立リーグのチームでプレーして現役を引退しました。
引退後はシカゴ・カブスの傘下で打撃コーチを務めています。
査定
・基本能力
基本能力はパワプロ1998年度のデータ(出典:http://www.baseless.org/data/)を参考にしつつ、当時の助っ人外国人レビューをされている方のサイト(https://debubu.com/hanshing2000hardtke.html)を参考に作りました!
・ホーム突入
当時の阪神の助っ人外国人に何故か付いていたホーム突入(体当たり)を付けてみました。
次回は1998年に在籍したデーブ・ハンセン選手を作って行けたらと思います!
(若干ネタ切れになりつつあるので何かリクエストとかあればコメントしていただけると幸いです!)
それでは!
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[パワプロ2018]阪神タイガース マイク・ブロワーズ[パワナンバー]
どうもこんばんは、カムラです!
パワプロの実在選手作成のコーナーです。
阪神の助っ人外国人を作成シリーズ!!
第二十五弾は、前回のジョンソン選手と共に1999年頃に阪神に在籍したマイク・ブロワーズ選手です!
マイク・ブロワーズとは?
ベテル高等学校→ワシントン大学→ニューヨーク・ヤンキース (1989 - 1991)→シアトル・マリナーズ (1992 - 1995)→ロサンゼルス・ドジャース (1996)→シアトル・マリナーズ (1997)→オークランド・アスレチックス (1998)→阪神タイガース (1999)→シアトル・マリナーズ (1999)
マイク・ブロワーズは1986年のMLBドラフト10巡目でモントリオール・エクスポズに指名されて契約したプロ野球選手です。
1989年にトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍すると同年9月にメジャーデビューします。
以降はトレードやFAでシアトル・マリナーズやロサンゼルス・ドジャース、オークランド・アスレチックスに移籍してプレーしました。
そして1999年にマーク・ジョンソンと共に阪神タイガースに入団し、4番・三塁手に座りましたが打撃の調子が上がらず、6月にスタメン落ちを経験すると契約の関係や、外角に逃げるスライダーに極端に弱かったこともあり2年契約の1年目のシーズン途中だったのにもかかわらず、解雇されました。
阪神退団後は古巣のシアトルマリナーズに復帰し、同年限りで現役を引退しました。引退後はマリナーズのコメンテーターを勤めているそうです。
査定
・基本能力
基本能力はパワプロ1999年度のデータ(出典:http://www.baseless.org/data/)を参考にしつつ、当時の助っ人外国人レビューをされている方のサイト(https://debubu.com/hanshing2000hardtke.html)を参考に作りました!
・インコースヒッター
外スラにめっぽう弱かった所を再現するために付与しています。
・調子極端
相棒のジョンソン同様、打てる日と打てない日で落差が激しかったため付与しています。
次回は1998年に在籍したデジ・ウィルソン選手を作って行けたらと思います!
(若干ネタ切れになりつつあるので何かリクエストとかあればコメントしていただけると幸いです!)
それでは!
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[今日はなんの日?]アレックス・ヴァン・ヘイレンの誕生日(Van Halen)の誕生日
どうもこんばんは、カムラです!
ずいぶんお久しぶりの今日は何の日?のコーナーです。
本日5月8日は、ヴァン・ヘイレンで活躍したアメリカのドラマー、アレックス・ヴァン・ヘイレンの誕生日です!
アレックス・ヴァン・ヘイレンとは?
アレックス・ヴァン・ヘイレンはアメリカ生まれのドラマーで、78年のデビューから今日に至るまで圧倒的な人気を誇るアメリカのハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンのドラマーです。
アレックスは、プロの音楽家であった父親の影響で、幼い頃からピアノやヴァイオリンが身近にある生活を送っており、アメリカに移住するとロックに影響を受けてアレックスがギター、弟エディがドラムを始めました。
しかし、お互いの居ない間に相手の楽器に触れている内に相手より上手くなってしまい楽器を交換し合ったそうです。
その後弟エディと共にバンドを組むと、幾度も名前を変えつつ活動し、対バンをする仲だったデイヴ・リー・ロスやマイケル・アンソニーを所属バンドから引き抜き現在知られるラインナップを完成させ、名前をヴァン・ヘイレンと改めます。
当時のメンバー(左からマイケル・アンソニー、アレックス・ヴァン・ヘイレン、デイヴ・リー・ロス、エディ・ヴァン・ヘイレン)
その後ワーナー・ブラザースからアルバム「炎の導火線」でメジャーデビューすると現在でもよく知られるように数々の名作を持ち前の豪快かつ大胆なドラムプレーで彩りました。
アレックス・ヴァン・ヘイレンの演奏が堪能できる曲3選!
それでは、そんなアレックスのドラムを堪能できる曲を紹介してお別れです!
①Hot for Teacher
アレックスのマシンガンのようなドラムの乱打がイントロにフィーチャーされた全盛期ヴァン・ヘイレンの名曲。
デイヴ・リー・ロス期のパーティー・ロックなヴァン・ヘイレンを凝縮したようなこの曲は、アレックスのパワフルなドラムがぴったりと合っていて素晴らしい仕上がりになっています!
②Pleasure Dome
Van Halen - Pleasure Dome & Drum Solo
1991年のアルバム「FOR UNLAWFUL CARNAL KNOWLEDGE」より。
あまりの難度の高さからエディの凄まじいギタープレイにばかり注目されがちなこの曲ですが、アレックスのドラムも負けじと目立ちまくっています!ライブバージョンではボーカルを抜いてインスト曲として演奏されることが多いですが、エディの言う「ボーカル抜きでもカッコいい」ヴァン・ヘイレン・サウンドを地でいく曲です!イントロに追加されるアレックスのドラムがたまりません!
③5150
こちらはライブバージョンから選出。
サミー・ヘイガーがボーカルになって最初のアルバム「5150」のタイトルを冠したこの曲。
ライブバージョンの冒頭ではドラマー・アレックスの魅力が詰まったドラムソロを聴くことができます!
[パワプロ2018]オークランド・アスレチックス傘下 冨岡 聖平[パワナンバー]
どうもこんばんは、カムラです!
パワプロの実在選手作成のコーナーです。
今回もG.W.リクエスト企画!ということで質問箱やコメント欄でリクエスト頂いた選手を作成していきます!
第五弾は、2020年1月に米大リーグオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ投手、冨岡聖平選手を作成していきます!
冨岡聖平とは?
桜井高校→東洋大学→バイタルネット→オークランド・アスレチックス (2020-)
冨岡聖平は、2020年にオークランド・アスレチックスとマイナー契約をしたプロ野球選手です。
高校時代は富山県の桜井高校のエースとして県大会準優勝を果たし、大学時代は東洋大学で現DeNAの上茶谷選手や現ソフトバンクの甲斐野選手らと共にプレーするなどしました。
その後バイタルネットに就職して社会人野球に参加し、昨年11月に行われたトライアウトを経てオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結ぶに至りました。
査定
・基礎能力
ドラフト・レポート様(出典:http://playersnote.blog.fc2.com/blog-entry-1354.html)や一球速報.com様(出典: https://baseball.omyutech.com/PlayerStats.action?playerId=1205657&teamId=33338)を参考にプロ入団の上茶谷選手や甲斐野選手よりやや劣るくらいの能力値を想定して作りました。
(ユニフォームはアスレチックス同様緑を基調とした南海ホークス→ソフトバンクに決めました)
・打たれ強さF
桜井高校での県大会決勝にて、味方のエラーで出塁を許すとヒットを許し、決勝点につながる犠飛で失点を許してしまった他、バイタルネット時代もエラーなどから雪崩れ込むような失点をするケースが多かったことから付与しました。
・怪我しにくさE
高校時代と大学時代に一度ずつ肩痛に苦しむ事があったため付与。
・回復E
連投すると疲れを見せ、球速も大きく落ちてしまうことから付与。(参考:高校時代 通常時143km/hが最速のところを130km/h台を出すので精一杯になる)
・逃げ球、四球
四死球を出すことが多く、そこから失点するケースが多かった為付与しています。また、被打率は高いものの、被本塁打はそこまでだったことから逃げ球を付けてます。
・負け運
話戻って桜井高校時代、県大会決勝で味方のエラーで失点を許してしまったなど自分の預かり知らない所でミス連発→相手の勢いを止められずピンチ→敗北に繋がる失点というケースが見受けられたので付与しています。
・ノビC、奪三振
ノビのあるストレートで高校時代35奪三振を取ったことから付与しています。
・テンポ○、力配分
「省エネ投法」なるものを実践して、力を抑え小気味よく投げていたことから。
次回以降もリクエスト企画の選手を作って行けたらと思います!
(若干ネタ切れになりつつあるので何かリクエストとかあればコメントしていただけると幸いです!)
それでは!
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[音楽ニュース]ブライアン・ハウ(ex.Bad Company)死去
皆さんこんにちは、カムラです。
今日のニュースはこちら
バッド・カンパニーの元ボーカリストとして活躍したブライアン・ハウが先日66歳の若さでお亡くなりになられました。
ブライアン・ハウはイギリス出身のミュージシャンで、地元のバンドでキャリアを積んだ後、テッド・ニュージェントのバンドに招かれ、1984年アルバム『Penetrator』でリード・ヴォーカリストを務めました。
その後、ボーカリストだったポール・ロジャース脱退後のバッド・カンパニーにリード・ボーカリストとして招聘され、低迷期の同バンドを支え続けました。
また、ソングライターとしての側面も持ち合わせており、1990年のアルバム『Holy Water』ではほとんどの曲の作曲を一手に引き受け、ポール・ロジャース脱退後でも屈指の名作として名高い作品に仕上げていきました。
1994年のバッド・カンパニーを脱退後は、心臓の病気を患いながらも、ソロとしてキャリアを続けていきました。
[今日はなんの日?]バーニー・マースデン(ex.Whitesnake)の誕生日
どうもこんばんは、カムラです!
ずいぶんお久しぶりの今日は何の日?のコーナーです。
本日5月7日は、初期ホワイトスネイクで活躍したイギリスのギタリスト、バーニー・マースデンの誕生日です!
バーニー・マースデンとは?
バーニー・マースデンはイギリス生まれのギタリストで、70年代に元ディープ・パープルのボーカリストだったデイヴィッド・カヴァーデイルがフロントマンを務めたイギリスのロックバンド、ホワイトスネイクのブルースロック期を代表するギタリストでした。
サニー・ボーイやハウリン・ウルフなどのシカゴ・ブルースやエリック・クラプトン、ピーター・グリーン、ジェフ・ベックなどのミュージシャンから影響を受けたバーニーは、1970年代からギタリストとしての活動を本格化させていきます。
その後マイケル・シェンカーが在籍したハードロックバンドのUFOやコージー・パウエルズ・ハマー、ペイス・アシュトン・アンド・ロードなどといったバンドで往年の名ミュージシャンらと活動を共にしたすると、1977年にホワイトスネイクのメンバーとなりました。
ホワイトスネイク在籍時は、「Ready and Willing」や「Come and Get it」などブルースロック期を彩る燻銀なギターで通を唸らせました。
1982年にバンドを去った後は自身のバンドの他に、元バンドメイトであったミッキー・ムーディやニール・マーレイらとのバンドやセッションを行うなど派手さはないものの精力的に活動しています。
また、長年不仲とされていたデイヴィッド・カヴァーデイルとも近年和解し、古巣のホワイトスネイクの公演に参加しています。
バーニー・マースデンの演奏が堪能できる曲3選!
それでは、そんなバーニーのギターを堪能できる曲を紹介してお別れです!
①Fool for Your Loving
Whitesnake - Fool for Your Loving (Official Music Video)
バーニー在籍時のホワイトスネイクと言えばコレ!
ホワイトスネイク初のヒット作「Ready 'n' Willing」のリードトラック。
当時のメンバーの叡智が結集したこの作品でも、バーニーのセンスが輝きます。流麗なギターソロだけでなく、メロディの途中で聴けるちょっとしたフレーズすらも心地よい逸品です。
②Don't Break My Heart Again
Whitesnake - Don't Break My Heart Again (Official Music Video)
同じくホワイトスネイクのアルバム「Come and Get it」より。
こちらではバーニーの真骨頂である、いぶし銀の光る弾きまくりギターソロを堪能することができます。感情を込めて紡ぎ出されるフレーズは、今でもギタリストのお手本と言えるでしょう。
③Here I Go Again
Whitesnake - Here I Go Again (Official Music Video)
ホワイトスネイク在籍時最後の作品、「Saints and Sinners」より代表作。
デイヴィッドとの共作となったこの曲は、ギタリストとしてだけでなくソングライターとしてのバーニーの才能を感じさせる内容になっています。
特に、間奏で聴けるミッキー・ムーディとのツイン・ギターソロは絶品です。
(尚PV制作時にはバンドを去っており、代わりにトラピーズよりメル・ギャレーが参加しています…)
[パワプロ2018]MLB リッキー・ヘンダーソン[パワナンバー]
どうもこんばんは、カムラです!
パワプロの実在選手作成のコーナーです。
今回から数回はG.W.リクエスト企画!ということで質問箱やコメント欄でリクエスト頂いた選手を作成していきます!
第四弾は、1979〜2009年まで活躍したリッキー・ヘンダーソン選手を作成していきます!
リッキー・ヘンダーソンとは?
オークランド・アスレチックス (1979 - 1984)→ニューヨーク・ヤンキース (1985 - 1989)→オークランド・アスレチックス (1989 - 1993)→トロント・ブルージェイズ (1993)→オークランド・アスレチックス (1994 - 1995)→サンディエゴ・パドレス (1996 - 1997)→アナハイム・エンゼルス (1997)→オークランド・アスレチックス (1998)→ニューヨーク・メッツ (1999 - 2000)→シアトル・マリナーズ (2000)→サンディエゴ・パドレス (2001)→ボストン・レッドソックス (2002)→ロサンゼルス・ドジャース (2003)→ニューアーク・ベアーズ (2003 - 2004)→サンディエゴ・サーフドーグス (2005)
リッキー・ヘンダーソンは、1976年にオークランド・アスレチックスからドラフト4巡目指名を受け入団したプロ野球選手です。
入団後は3年間マイナーリーグでプレーし、マイナーリーグタイ記録の1試合7盗塁を記録した後に満を辞して1979年にメジャーデビュー。
メジャー初打席で早速ヒットを放つと、ルーキーイヤーにも関わらず33盗塁を記録する活躍を果たしました。
翌シーズンにはアメリカンリーグ新記録となる100盗塁を記録し、1980年から1986年にかけて7年連続盗塁王を獲得しました。
特に1982年には現在もMLB記録として残る130盗塁という大記録を達成。
以降も着実に盗塁数を増やしていき、1991年に当時のMLBの通算盗塁記録だったルー・ブロックの938盗塁を破る939盗塁を、1993年に福本豊の盗塁世界記録を破る1066盗塁を記録するなど名実ともに史上最強のリードオフマンの称号を欲しいままにしました。
また、ヤンキース時代からは本塁打数も増えていき、86年には28本塁打を記録するなど長距離打者としても名を馳せました。
最終的に2009年の殿堂入りをもって現役引退を宣言するまで1979年から2003年までの25シーズンでMLB9球団で、2004年からは米独立リーグのニューアーク・ベアーズや、サンディエゴ・サーフドーグスでプレーしMLB歴代1位の通算1406盗塁を記録しました。
彼が着けた背番号「24」は2009年、オークランド・アスレチックスの永久欠番に認定されております。
第一線を退いてからはニューヨーク・メッツの特別インストラクターや一塁コーチ、アスレチックスの球団社長特別補佐を務めた他、2019年のアスレチックス-マリナーズの日本開幕戦で来日し、佐々木主浩-城島健司のバッテリーを相手に始球式に出るなどしておりました。
査定
・能力
選手査定ノート(出典:http://playersnote.blog.fc2.com/blog-entry-1354.html)を参考に作りました。
(ユニフォームはアスレチックス同様緑を基調とした南海ホークス→ソフトバンクに決めました)
次回以降もリクエスト企画の選手を作って行けたらと思います!
(若干ネタ切れになりつつあるので何かリクエストとかあればコメントしていただけると幸いです!)
それでは!
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[音楽ニュース]クラフトワークの創設者、フローリアン・シュナイダー氏が死去
皆さんこんにちは、カムラです。
今日のニュースはこちら
クラフトワークの創設者として活躍したフローリアン・シュナイダー氏が先日73歳でお亡くなりになられました。
フローリアン・シュナイダーはドイツ出身のミュージシャンで、1970年にテクノポップの先駆けとなった伝説的音楽グループ、クラフトワークの創設メンバーとして活躍した人物です。
テクノポップの先駆者、クラフトワーク
クラフトワークを創設後は音声合成を専門とし、独創的なサウンドでマイケル・ジャクソン、デビッド・ボウイ、YMOら世界中のアーティストに多大な影響を与えただけでなく、1973年にはセンサーパッドの付いた電子パーカッションを発明するなど、演奏面以外でも音楽業界に大きく貢献しました。
2008年以降はライブツアーを引退し、翌年正式にクラフトワークを脱退すると自身の創作活動に専念しておりました。
[パワプロ2018]近鉄バファローズ 小川亨[パワナンバー]
どうもこんばんは、カムラです!
パワプロの実在選手作成のコーナーです。
今回から数回はG.W.リクエスト企画!ということで質問箱やコメント欄でリクエスト頂いた選手を作成していきます!
第三弾は、1960〜80年代頃に活躍した小川亨選手を作成していきます!
小川亨とは?
宮崎県立宮崎商業高等学校→立教大学→近鉄バファローズ (1968 - 1984)
小川亨は1967年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団したプロ野球選手です。
1年目から一軍に定着すると、翌1969年からは長打も増えるようになり、同年から5年連続二桁本塁打を放つだけでなく、7年連続で二桁盗塁を記録するなど走攻守でチームの中心打者に成長していきました。
以降も最高出塁率(1975年)を獲得したほか、初のリーグ優勝(1979年)に貢献するなど数々の輝かしい成績を収めております。
また、今回作成した1980年度には自己最高となる打率.323を記録し、広島との日本シリーズでは7試合すべてに安打を放ち、23打数9安打5打点と敢闘選手賞を獲得する奮闘ぶりを発揮しました。
そして、1984年を最後に近鉄一筋の17年の現役生活を引退しました。
引退後は近鉄やオリックスの打撃、守備走塁コーチを歴任し近鉄の89年のリーグ優勝に貢献した他、朝日放送や文化放送の解説者やプロ野球マスターズリーグに参加したり、中学硬式野球チームの監督も務めたりと幅広く野球界の発展に尽力しております。
査定
・基本能力
基本能力は選手査定ノート(出典:http://playersnote.blog.fc2.com/blog-entry-1354.html)を参考に作りました!
・粘り打ち、選球眼
四球をよく選び、出塁率が高かったとしれる為追加で付与しました。
次回は「Man of Steal」こと、MLB史上最強のリードオフマンと称されたリッキー・ヘンダーソン選手を作って行けたらと思います!
(若干ネタ切れになりつつあるので何かリクエストとかあればコメントしていただけると幸いです!)
それでは!
合わせて読みたい
[パワプロ2018]東映フライヤーズ 土橋正幸[パワナンバー]
どうもこんばんは、カムラです!
パワプロの実在選手作成のコーナーです。
リクエスト企画第二弾!
今回は1950〜60年頃に東映のエースとして活躍した土橋正幸選手を作成しました!
土橋正幸とは?
東京都立日本橋高等学校→フランス座→東映フライヤーズ (1955 - 1967)
土橋正幸は、1955年に東映フライヤーズの入団テストを受けて入団することになったプロ野球選手です。
入団後はとにかく投げ込む練習を行い、3年目の1957年に頭角を現すと、当時の日本記録であった沢村栄治の15奪三振を上回る1試合16奪三振を記録し、1961年には30勝、防御率1.90の成績を残しました。
その後も1962年のリーグ優勝に貢献し、阪神タイガースとの日本シリーズでは全7戦のうち6試合に登板し2勝1敗する活躍をしたことから史上唯一、種茂雅之とともにMVPに2人選ばれました。
しかし1965年以降は肩や手首、アキレス腱などを痛め、1967年限りで引退しました。
現役引退後は東映や日拓、日本ハム、ヤクルトの投手コーチ、監督を務めた他、プロ野球解説者やプロ野球マスターズリーグの東京ドリームス監督、並びに沢村賞の選考委員も務めており、2013年に77歳で亡くなりました。
査定
・基本能力
基本能力はパワプロ14のデータ(出典:http://www.baseless.org/data/)を参考に作りました!
・回復A、怪我しにくさB
先発で年間63登板をした他、毎年のように200イニング以上投げ続けたことから付与しています。
・根性○、テンポ○
ちぎっては投げ、ちぎっては投げの江戸っ子投法なる投げ方をしていたことを再現しようと
次回はリクエスト企画を続行して作って行けたらと思います!
(若干ネタ切れになりつつあるので何かリクエストとかあればコメントしていただけると幸いです!)
それでは!